金言金行集 |
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2021年4月25日 |
香樹院の客舎に招かれて 嘉永三年(1850年)九月九日、香樹院師の客舎 に招かれて、酒など賜はりけり。 その時、師には法義の御話ありけり。 香樹院師云く、凡(およ)そ人々は、我(わが) 心中をこしらへる事にかゝりて、居る故、 其(その)心中は、我(わ)がこしらへもの也。 教へる人も唯(ただ)理屈のみを教へて造ること に骨を折るなり。 唯、信心とは、聞其名號信心歓喜(もんご みょうごうしんじんかんぎ)の八字を我(わが) 膓(はらわた)とするばかりなるに、さう思ふ人 甚(はなは)だ少なきは残念也。 存(一蓮院秀存)云く、唯 佛の力一(ひとつ) にて、助け給ふぞと信ずる外に聞其名號と いふ事もなしと聴聞 致し居(おり)候。 師云く、それでよし、それでよし。 秀存語録より |
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金言金行集 |
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2021年4月26日 |
他力の不思議にたすけらるゝといふ事を 信じたるも他力不思議の力也。 如來の御はからひで往生するぞと信ずる心も 如來の御はからひより起る也、親の御恩を 知るも、親の力也。 「 明月(めいげつ)によりて明月を見る」。 然らば、念佛の行者は、全く 佛の御力ぞと信じ喜ぶべき也。 一蓮院秀存 和上 |
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