日本妙好人協会

詳細ページ3062


金言金行集
2020年6月15日
清九郎がどのくらい大切に、真剣に、仏法をきいて

いたかということは、次の話でもしれる。

ある人「今日も五条町でハリツケになった人を見た

が、ああいう重い罪人でも仏法を信じたら浄土へ

まいれようか」

 「まいれますとも。

この清九郎でさえも、まいらせてもらえますもの」

清九郎は、死刑になった罪人よりふかいつみを

自分に見ているのである。

そしてそれを見せるものは如来であった。如来が

それを見せて、それゆえ

「ただ念仏して弥陀にたすけられよ」とつげている

のであり、清九郎はそれをきいて念仏しているの

である。


信者群像 藤並天香 著 より

妙好人 大和の清九郎さん

金言金行集
2020年6月16日
 あるとき、種もみを入れていた干瓢(かんぴょう)

に ねずみが はいって食いつくし、ふとって口から

出られぬのを見つけ、家族がころすというのを

とめて

「ねずみは、食うのが本能、用心しなかった わし

こそわるい。うちに住むねずみなら いんねんが

ある」

といって、口を切りひろげて、にがしてやった。

ねずみと自分のあいだに、かよう いのちを見て

いるこの まなここそ、仏法の精神であり、東洋の

こころで あろう。


信者群像より 清九郎さん
その他の金言集⇒⇒詳細ページ3061へのリンク