金言金行集 |
---|
2020年6月15日 |
清九郎がどのくらい大切に、真剣に、仏法をきいて いたかということは、次の話でもしれる。 ある人「今日も五条町でハリツケになった人を見た が、ああいう重い罪人でも仏法を信じたら浄土へ まいれようか」 「まいれますとも。 この清九郎でさえも、まいらせてもらえますもの」 清九郎は、死刑になった罪人よりふかいつみを 自分に見ているのである。 そしてそれを見せるものは如来であった。如来が それを見せて、それゆえ 「ただ念仏して弥陀にたすけられよ」とつげている のであり、清九郎はそれをきいて念仏しているの である。 信者群像 藤並天香 著 より 妙好人 大和の清九郎さん |
|
金言金行集 |
---|
2020年6月16日 |
あるとき、種もみを入れていた干瓢(かんぴょう) に ねずみが はいって食いつくし、ふとって口から 出られぬのを見つけ、家族がころすというのを とめて 「ねずみは、食うのが本能、用心しなかった わし こそわるい。うちに住むねずみなら いんねんが ある」 といって、口を切りひろげて、にがしてやった。 ねずみと自分のあいだに、かよう いのちを見て いるこの まなここそ、仏法の精神であり、東洋の こころで あろう。 信者群像より 清九郎さん |
その他の金言集⇒⇒詳細ページ3061へのリンク |