日本妙好人協会

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金言 金行集
2019年8月25日

 庄松(しょうま)地方の某(ぼう)寺に逗留中、

三部経の仏事ありその供をして施主の内へ行き

しが、住職は玄関より上がりたれば、庄松も

ついて上がらんとせしに、住職は庄松に、お前は

台所の方より這入れと云えば。
  
  三部経を負い居る庄松 
 
  「お前さえ其処から上がるでないか」 

と云われたと。

  (庄松ありのままの記)

金言 金行集
2019年8月26日

 妙好人・三戸 独笑さん

 長年の仏法聴聞されてきたお婆さん。 親仏、

阿弥陀さまの有難さも教えの要も解った聞いた

つもりでいるのに最後の最後で「どうも どうも」の、

この心が邪魔をして嘆いているお婆さんと三戸

さんとの安心座談問答。

   (三戸さん)【お婆様、能く御聞きよ、何十年も

聞法の邪魔する其(その)どうも どうも が

御慈悲である、御慈悲そのままが どうもどうもで

ある、さぁさぁお婆さん小言云ふてご覧】

    (お婆さん)「お恥ずかしう御座います、

さればどう逃げても此の どうも どうものなりが

御慈悲の中で御座いますか」

    (三戸さん)【夫れも遅い 遅い どうもどうもと

御慈悲と二つあるのではない、親様は汝の心のあ

りたけが弥陀の本願、身命投げうって永劫修行

した印が、汝の其の どうもどうも であるとの仰せ

、故に

どうもどうもを除けて大慈悲はない、大慈悲を

のけて どうもどうもはない、此のどうもどうもの心

を親様が御救い下さると喜ぶのではない、

どうもどうもが有難いのです、嬉しいです、どうも

どうも のなりが御慈悲ではない、どうもどうもが

御慈悲です、

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏】      

           (他力安心座談)

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