日本妙好人協会

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金言金行集
2021年4月16日
●しぬる(死ぬる)こと はずいて(外して)

もろを太(貰うた) わ太くし仁

 なむあみ太”ぶを あてて(当てて)もろを太




 ●さいちや なんで は太らくか

 へ わ太くしや なむあみ太”ぶで

は太らきまする

なむあみ太”ぶつ なむあみ太”ぶつ




        妙好人 才市さん

金言金行集
2021年4月19日
 清五郎云く、丹波の同行、わざわざ河内の國に

身代りの本尊ありときゝ、拝禮(はいれい)の

爲(た)めに参りけり。

 その村邊(むらべ)にいたり田地を耕す人に、

 「この村内に身かはりの本尊ありときく、

どの家なりや」と問ふ。

 その人、「それは、我家也」と、同道(どうどう)

その人をつれ歸る。

 丹波の人、その家の佛を拝むに、血の流れたる

痕(あと)も、また きられたる瘡(きず)もなし。

 故に、その由(よし)を とひければ、主人云く、

「御身がはりの阿彌陀佛と云ふは、我等が爲めに、

我かはりに立(たち)たまふ五劫永劫修行成就の

佛也。

 君のいひ給ふは、現世の身代りに立ち給ふ

佛なりや。

 それならば當村(とうそん)何兵衛の方(かた)に

あり。

 それは、たつた一度の事也。

 今 拝み奉る み佛は、盡未来際(じんみらいさい)

一度や二度にあらず、常に我等が身にかはり給ふ

也」と いひければ、同行も感伏(かんぷく)して

かへりけり。


   秀存語録より

 (丹波の人とは、信者めぐりの主人公の

 若かりし頃の三田源七老人のことか?)
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