金言金行集 |
---|
2020年12月26日 |
十劫の正覺は我れの往生成就の相(そう)と 承(うけたまは)つては嬉しいでないか、 豆が豆腐になつたらモウ本(もと)の豆には なれぬ。 小麦が温飩(うどん)にされたらモウ本の小麦 に戻ることが叶はぬ如く、これから仕上げる法で ない、仕上げの法ぢや。 故に我(われ)のと一邊(いっぺん)耳へ 這入(はい)りたらモウ正定聚(しょうじょうじゅ)、 本の凡夫になつて見たいと思うても なることはできぬ。 これ全く聞いた耳の力でない、まるまる お聲(こえ)一つとなつて、這入って下された願力 の御仕掛(おしかけ)である。 只々不思議 不思議と信ずるより外はない のである。 信者めぐり 紀伊 小山憲榮(こやまけんえい)和上 |
|
金言金行集 |
---|
2020年12月29日 |
或僧(あるそう)の話に 或書(あるしょ)に法然上人の御言(おことば)に、 法然は末(すえ)の世に、四國の愚者に生れて、 衆生を済度せんと思ふ、との仰せあり、 此(この)御言を能く伺ひみるに、壬生村 (みぶむら)の庄松は、上人の再来かと考えられる 故、尋ね逢(あふ)て、篤(とく)と御慈悲を聴聞 いたされよ、」と申されたり。 妙好人百話より |
その他の金言集⇒⇒詳細ページ3107へのリンク |