日本妙好人協会

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金言 金行集
2020年3月29日

庄松

京参りして、興正寺御門主(ごもんしゅ)の

御前(ごぜん)へ出るに、粗末なる袋を提(さげ)

ながら出(いで)んとすれば、役人達がこれを

見咎(みとがめ)て曰く、その袋はソレへ置いて、

出られよといえば。

 庄松の曰く

「この袋は、置けとアレバ置(おき)もしようが、

胸のうちのクソ袋を提(さげ)ながら、御前(ごぜん)

へ出るが、恐れおおい恐れおおい」

 御門主、御上段より御聞きありて、御感(ぎょかん)

のあまり、法名を正眞と下されたり。




讃岐の庄松

金言金行集
2020年5月16日

 他力安心座談より

問者・藤井 静子さん

答者・三戸 獨笑さん(妙好人)による安心座談問答

より抜粋。


 問、斯(か)くまで御意見に逢はして貰うても、

有難い、愉快な思ひが無いのはどうでせう、

心の奥底は何ともありませぬ


答・・・有難うなつて来いと云ふ要求が何時(いつ)

ありましたか


有難い有難いと云ふ法席を離れて何ともない處

(ところ)が有難いのです


何ともないのが何ともないから、愈々有難いの

です

其(その)少しも分らぬ儘(まま)が有難いのです


問、分らぬ儘なら苦しみは致しませぬが、何(どう)

かして眞實の親心がわかりたい爲めに此の様に

煩悶いたして居ります

 答・・・何ともない、分らぬ心は邪魔にはならぬ

けれども、分りたい分りたいとあせる其心が、

御本願を刎付(はねつ)けて居(お)るので

あります

機から云へば聞いても墜ちる、聞かいでも落ちる

のですが、法から申せば聞いても助かる、

聞かいでも助かるのであります

 問、聞き心を忘れた時は有難うも何ともあり

ませぬ


答・・・そうじゃそうじゃ其有難うも何ともないのが

有難いので、唯の只とは此處(ここ)である

吉本老母が何ともないのが有難い、有難いのが

何ともない、何ともないのが有難いと何返も繰

返し繰返し獨り言を云ふて居られましたが、

ほんに甘(うま)い味(あじは)いであります


唯ぢやとて聞かずに唯が分らうか、聞けば聞く

ほど唯の只なり、唯の御慈悲ぢやなけれども参る

私が唯まいり、南無阿弥陀仏


妙好人・三戸 独笑さん

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