金言 金行集 |
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2020年1月27日 |
今此処に置いたものがないのなら、疑ふと云う こともあろうが其品 此処にあると目の前へ出した ら疑ふことはならぬ。 そちの機にこれで参れると云ふものは、何程捜して もあるまいがや、そんな無い處(ところ)を萬劫 捜しても出るためしなし。 それゆゑそちの参らねばならぬ證據(しょうこ) はそれ其處(そこ)にあると、そちの口から現はれ る御念佛を指されたら、なんぼそちでも 疑へまいが。 光觸寺老院 |
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金言 金行集 |
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2020年2月10日 |
庄松。 十川村(そがわむら)光清寺(こうせいじ)の本堂 にて、子供を守りあそばし居て、庄松自から、両手 をつき、両足を空(そら)にして、逆(さか)さまに なり、戯(たわむ)れ居(お)るを、講中(こうじゅう) 達が見つけ。 アレアレ同行が、軽業(かるわざ)をやらかす、妙々 (みょうみょう)と或(あるい)は笑い、或は 囃(はや)しければ。 庄松の曰く、 「おまえ達が落(おち)てゆく 真似じや真似じや」 これは寺の講中(こうじゅう)様は、却(かえっ)て 御法義なし、世話を仕(し)ながら、 地獄へ落ると申されたるなり。 庄松さ同行 |
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