金言金行集 |
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2020年10月14日 |
人間に生れ来たのは何のため 弥陀の浄土へまいるためなり ありがたい おじひおじひといいながら わが感じたる こころなりけり わがこころいくら感じて悟りても 如説如法に合わぬ凡心 おじひをば胸に感じた信心は なむあだぶの白道がない ものたらぬ おのがこころをうずめんと 機のかたばかり 吟味するなり 願力でそのままの お助けというけれど なむあだぶは のけたお話 考えることではないぞ なむあだぶ仏 きかせてもらう ものでこれあれ 廻向とはほかに 廻向はなかりけり なむあだぶ仏が 廻向なりけり お助けのまちがいのない真実が なむあだぶの御名でしらるる 私を 助けまします親様は なむあだぶ仏と知れたうれしさ この口に あらわれたもう念仏は これ生身の あみだ仏なり 念仏は わが本来の面目ぞ 念仏のほか何を ざわざわ 極楽にまいる お方はどこに居る はいわたくしが ここにおります 念仏は三千世界の大事業 とおとく思い 勇みとなえよ ようやくに なむあだぶつ ただ一つ ああ とおとさに ひれふしおがむ 気をつけよ心をせめよ ただ今は わが 身口意は 何をしている 九州の信者 若松の大山専応さん 信者群像より |
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金言金行集 |
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2020年10月15日 |
最後の御座(ござ) 一蓮院師は香月院(こうがついん)師の高弟で、 香樹院師などとは同門であった。 師は尼さんのやうなやさしい容貌(ようぼう)で、 平素(へいそ)蓮を愛して居(お)られたので、 自ら一蓮院と號されたといふことである。 曾(かつ)て名古屋別院に於て十日間御差向け (おさしむけ)の説教をせられた事があつたが、 終りの座に臨(のぞ)んで 「長々佛法の話をしたが、何にも覺えて かへるでないぞ、南無阿彌陀佛一つでたすかると いふことだけは、同行にも、 子孫の末(すえ)までもわすれぬやうに申し 傳(つた)へておいてくれ」 と繰々(くれぐれ)も申された。 一蓮院秀存師 安心百話 住田 智見(すみたちけん)著 |
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