金言金行集 |
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2020年12月3日 |
石見國(いわみのくに)の田野迫(たのさこ)に、 磯七(いそしち)とよべる信者あり。 常に獨咄(ひとりはなし)をする癖ありしが、或時、 垣(かき)を結ひつゝ、咄(はなし)の聲高く聞へ ければ、嫁は尋ねて「父上(あなた)、誰と咄をし 給ふや」といへば、磯七「如来様とお話申して、 面白いことであつた」と答へけると。 又暇さへあれば「嬉しうてならぬ、尊うてならぬ、 此身が佛になるは彌陀の丸だすけ」といふて常に 喜びけるが、又の口すさみに この田の迫の磯七は、今年八十になりまする。 どうでもかうでも近々(きんきん)に、命終(いの ちおわ)るが磯七よ。 無始よりこのかた造りたる、悪業煩悩にひか されて、八萬地獄のどん底へ、こけ落(おち) まするこの者を、 阿彌陀如來と申します、お慈悲の深い み佛が、御手をあげての御呼聲(およびごえ)、 こりや磯七の大罪人、罪は深くてもくやむなよ、 障(さわり)はあつてもなげくなよ。 その身そのまゝそのなりで、助けてやるぞ救ふ ぞと、御ねんごろなるお呼聲、その御言 (おことば)に 従へば、かゝる機までもお助けとは、やれやれ 嬉しや南無阿彌陀佛。 鬼の責苦(せめく)にあふ身をば、蓮の臺 (うてな)へ引取りて、彌陀にかはらぬさとりとは、 あらうれしや、うれしや南無阿彌陀佛 妙好人百話より石見(いわみ)の国の 磯七同行 |
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金言金行集 |
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2020年12月7日 |
或(ある)とき清九郎、老母(ろうぼ)をつれて 御本山へ参られしことありき。 年(とし)いと老いたる母なれば、歩行も なり難 (がた)ければ、もはや参るましと いひけるに、 清九郎いふやう「何とぞ御参り候(そうら)へ、某 (それが)し負(お)いて参るべし。尤(もっと)も 一人を雇いて某と二人して駕籠(かご)にのせまゐ らせば、御身(おんみ)も楽に おはすべし。 且(か)つそれ程のあたいの出来まじきにも あらねど、清九郎如きものゝ親が、駕籠にて京参り といふも似合(にあは)ぬことに存ずれば、御身 窮屈(きゅうくつ)には あるべけれど、私(わたくし) に負(お)はれ給へとて、二十里の行程(みちのり) を背(せな)に負ふて上京し、また下向(げこう)も したりきとぞ。 この男或時、親の枕を天井につり置ければ、見る ひと怪しく思ひ其心持(そのこころもち)をたづぬ れば、清九郎いふ様は 「親の枕を用ゐて、闇(くら)がりにて足にかけな ば、空恐(そらおそ)ろしく存ずるゆへ、天井につり て見るたびごとに、親の恩を思ひ出さん爲に」 と答へぬ。 妙好人百話より 妙好人 大和の清九郎さん |
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